ひつじのお家

自分用の日記みたいなものです

愛知県へ

昨日から1泊で愛知県へ行ってきた。

理由は2つあって、

1つ目は1人旅をしてリラックスしたかったから。

2つ目は自分が幼少期過ごした岡崎市を訪問したいという衝動に駆られたから。

 

私はまだ自分の父親と向き合うことが出来ていない。

確かにあの人が私の父親であるという事実に変わりはないだろうけれど、

だからと言って、今私があの人に会って、あの人が私に対して父親として父親らしい接し方をしてくれるのかと考えると、自信がない。

あの人には今別の大事にすべき家庭があるから、私は所詮よそ者に過ぎないような気がする。

例えその場ではそれらしく振舞ってくれたとしても、もしその態度の裏にある複雑な感情に気付いてしまったらどうしよう、といった不安から、会う勇気が出ない。

でもすごく興味はある。

私は、父親と「子供」と「大人」という関係においてしか接したことがない。

「人」と「人」として接したことがないし喋ったことがない。

正直父親がどんな人物なのか分からないから、知りたいという気持ちもある。

 

そんな興味から、父親に会わなくても、幼少期家族で過ごしていた土地に訪れてみたいという気持ちになった。

幼いころの記憶なので、ほとんど無いに等しいのだが、断片的な記憶は残っていた。

社宅の階段のにおい、社宅の裏の砂場、小さな畑、裏には階段がついていて、そこから保育園に通っていた気がする。

ただ、問題は岡崎市といえどもそれなりに広くて、住所も名前も分からないあいまいな記憶の中の場所にどうやって行くか、ということだった。

そこで、まずは通っていた保育園へ行くことにした。

保育園の名前だけは覚えていて、検索すると出てきた。

名古屋市から約1時間。岡崎市に入っても特に記憶に残っているような風景には出くわさず、試しに岡崎公園にも行ってみたのだが、やはり何の覚えもなかった。

ただ、通り過ぎる学校や、道を行く高校生の姿を見ると、もし私が京都に来ることなく岡崎市に住み続けていたとしたら、こんな学校に通って、こんな高校生になって、この街の中で生きていたのだろうか、という想像が頭の中で自然と膨らんだ。

 

ついに大きな道から細い住宅街に入り、通っていた保育園の前までたどり着いた。

最初全体を見たときは、何の記憶もないと感じたのだけれど、しっかりとした玄関の大きな門、広い運動場、商業施設のような小さなお城のような校舎を眺めたとき、

記憶とまったく一致するわけではないけれど、「ああ、ここだ」と、古いあいまいになっている記憶の中の景色が目の前の光景で少しずつ補われていくような感覚になった。

しかし、その場に長くとどまろうという気は起きなくて、車の車窓から眺めるだけでそのまま通過した。

すると今度はその道沿いに見覚えのある社宅が。

幼少期住んでいたところはここだ、と見た瞬間確信した。

中の駐車場から外の道路に出るまでが少し坂になっているところや、横に古びた自転車置き場があること、周りが背の高い草でおおわれていること全てが記憶と一致した。

降りて見に行こうかとも思ったけれど、道が狭く車を置くところもないし、京都ナンバーの車を置き去りにしておくことに何かしらの恐れを感じた。(万が一知っている人に見つかったらどうしよう、とか)

結局ここも車で通り過ぎるだけで終わった。

そのあと、イオンモール岡崎店が目に入ったのだがこれも記憶そのままで驚いた。

昔は「ジャスコ」だったのだが、名前が変わっただけで外装は何も変化していない。

建物の上に大きなピンクの看板が付いていて、前に大きな駐車場がある。

でも、これもただ通過するだけにとどめた。

 

今回の旅はこの辺りで満足し、切り上げることにした。

幼少期の頃の思い出の場所を訪れることで、やはりいつか自分は父親という存在と向き合う必要がある、と強く感じた。

いろいろあったけれど、やはり父親がいなければ自分は存在していないし、

小さいころはいつも一緒に遊んでくれて、いろんなところに連れて行ってくれて、お父さんが帰ってくる日が大好きだったし、そのことに感謝を伝える日が来なければならないと感じている。まだ気持ちが整っていないから、もっと先になるだろうけれど。

今までもう一生会わないつもりでいたけれど、このまま一度も会わず、次会うのがお葬式なんてことになったら、一生後悔するし心残りになる気がするから。

今はまだ学生で勉強の真っただ中にいて、中途半端な状態だけど、就職して安定して、自分で生計を立てられるようになったら、挨拶をしに行かなきゃな、と思えた訪問だった。