ひつじのお家

自分用の日記みたいなものです

人生とは

人生とは何か。
永遠の課題だと思う。私たち人間に課せられた一番の課題だと思う。
もちろん、この問いを突き詰めたからって1つの正しい答えに辿り着けるわけではないだろうし、考えるだけ無駄だ、という意見もあるかもしれない。
もちろん答えは1つじゃないし、人によっても変わってくると思うけれど、自分の中で、一度きりの人生をどんな風に生きたいか、というある程度の方向性のようなものは決めながら進みたいと思っている。
ただ何も考えることなく車を走らせ、交差点が見えて来たらその都度どの方向に行くかを考える、そして気づいたら年を取っている。
そんな人生は嫌だ。
今まで私は井の中の蛙だった。今でもそうだけれど今までは極端にそうだった。
人生とは、勉強ができて、いい学校に行き、一流と呼ばれる職業に就くことだと思っていた。また、自分にはその能力があると思っていた。
だから大学受験に失敗した時、もう人生が終わってしまったような絶望感に苛まれたし、第一志望の大学に行けない今となっては人生の負け組も同然だと思っていた。
ただ、その考えは自分の中に深く根付いていて、色々な世界を知った今でもそう思っている節がある。自分は負け組の世界の人間だ、と。
全く志望したことの無かった大学に通い、しかもそこで色々あり留年して、1年間という時間が与えられた。
私はそのうちの半年をニュージーランドで留学して暮らし、残りの半分を派遣社員としてホテルで働いて暮らした。
ニュージーランドで様々な国の、文化の、年齢の、立場の、職業の人と出会った。
その中でとりわけ日本人から影響を受けた。
私は初め、彼らに偏見を持っていた。なぜか。
私は一流の大学に進学し、一流の職業に就き、一流の生活をしている人のみが人生における正しい道で、それこそが生きる価値だと思っていたからだ。
大げさな言い方だけれど、それ以外の人はみんな道から外れた異端者だと思っていた。
会社を途中で辞めて海外に来た人、専門学校生、ニュージーランドの大学に入りたくて来た人……いろんな人がいた。
私は半年かけて彼らと接するうちに、彼らの中に立派な志があることを知った。
それは私が当たり前だと思ってきた価値観をぶち壊すものだった。
確かにいい大学を出、いい社会的地位に就くことも一つの成功といえるだろうけれど、それが人生のすべてではない。
それに、例えいい大学を出ていい会社に入れたとして、確かに周囲には尊敬されるだろうけれど、
自分にとって果たしてそれが本当に生きていて楽しいのかと言われれば首をかしげる
とても狭い世界に閉じこもってい生きているような気がするのだ。
そんなことよりも、名は知られていないけれどニュージーランドの大学に通って4年間、たっぷりの自然の中で自由にのびのびと過ごし、
色々な国の人々と交流したほうが楽しいのではないか、と思う。
日本の一流企業より給料は少なくても、ニュージーランドで働き口を見つけ、ライフワークバランスの取れたいい環境の中でゆったり過ごした方が
楽しいのではないか、と。

ただ、私にはもう手遅れなのである。
すでに薬科大学の3年生だし、ここまで親に払ってもらったお金のことや費やした年月のことを考えるとこの道を引き返すことは不可能なのだ。
薬科大学に入ると決めた時、第一志望が無理だったから、その次に安定職を得られそうな大学に行くという狭すぎる観点でしか物事を判断出来ていなかったし、
自分の一度きりの人生を楽しむ、というよりも周りの人たちに羨ましがられる、という観点でしか考えていなかった。
もしあの時海外に行くという選択肢を知っていたら、一番にその道を選んでいたかもしれない。
もっと突き詰めるなら、高校の時点で、ニュージーランドの高校に行っておくべきだったかもしれない。
ただ、私は無知過ぎたのだ。
新しい世界を知ったら、どんどん可能性が広がり、今の状態が嫌になって葛藤が生まれる。
きっと今でもすごく無知で、まだまだ私の知らない新しい世界があるに違いない。
それを知らずしてこの先の人生を今の狭い視野で決めていくことはすごくもったいないような気がする。

ああ、なんか結局何が言いたいのか分からなくなった。
疲れたし眠い。
もう寝よう。まだ自分の言いたいことも結論も書けてないけれど、
何が言いたいのか分からなくなってしまったし、親に反発しかできなくて自分のことめっちゃ悪く言われて、
なんかカッと来て文章に起こそうとし単だけど前置き長すぎたしここまで書いているうちにどうでもよくなってしまった。
またなんかあったら書く。おやすみなさい。